海の男たち 漁業の将来「ギャンブルだな」
■ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090515-00000521-san-bus_all
闇の中で青白く海が光った。これが網にかかった太刀魚の大群である。機械がグオングオンと轟音(ごうおん)をあげて網を引っ張り上げると、潮の香りが船全体に広がった。「結構とれたな」。巻き網船団の親方、島野峯雄さん(63)はニコリともせずに言った。 深夜の東京湾。千葉県富津市の萩生(はぎう)港から3〜4キロの沖合である。巻き網漁は先頭の探知船がレーダーで魚群を探し、2隻の網船が双方から海に網を落として一度に何万匹という魚をすくい上げ、横付けした運搬船が港まで魚を運び込む。漁師たちはこの作業を明け方近くまで繰り返す。 太刀魚はここ数年ほとんど捕れなかったが、今年に入って突然大漁になった。この日の水揚げは約12トン。セリにかかれば200万円ほどになるが、同じように船を出してもバケツ1杯という日もある。 「大丈夫っすか。酔ってませんか」。モヒカン刈りの若い漁師が声をかけてきた。インターネットの求人情報を見て1年前に応募してきた石川竜太郎さん(22)だ。「この仕事は一晩で何千万になることもあるし、大赤字もある。親方もよくバクチみたいなもんだと言ってる。そこが楽しいんだと思う」。 揺れる網船から運搬船の間をぴょんぴょんと飛び移りながら「3回海に落ちたことがあります」と話す石川さん。彼の言うように、漁業は射幸性が強く、ときに危険がともなう荒々しいイメージもある。結果がでるまで数カ月かかり、草取りなど地味な作業も多い農業との違いはそこにある。 ここ数年、各地の漁港で石川さんのような若者が増えているというが、島野さんは「石川みたいに1年も持つのは珍しい。不況で仕事もないし、格好いいと思って来るんだろうけど、大半は都会の子だ。数日で辞めることもある。逆に地元からの応募は全くない。農村も漁村も、そういう構図は変わらないと思う」 ■みんな陸に… 房総半島を代表する漁師町の一つ富津市。南北約40キロの海岸線に7つの漁港を持つが、現在の漁業者数は昭和55(1980)年の半分の約800人。中でも島野さんが所属する萩生漁港は市内で最も過疎化が進む天羽(あまは)地区にあり、組合員は30人程度。平均年齢は70代を超える。 「みんな陸に上がってしまった」。漁協関係者が口をそろえるように、中年層の多くは不安定要素の強い漁を捨てて勤め人になり、今では63歳の島野さんが漁協の中で若手という。地区全体でも高齢化は進み、次世代を担う15歳未満の子供の数は1割を切っている。 だからこそ石川さんの存在は貴重である。海のない埼玉県に生まれ、地元の高校を卒業後、一度は希望した自衛隊では入隊検査で内臓疾患が見つかり、職を転々とした。漁師に応募したのもアルバイト先の居酒屋で店長に勧められたという軽い気持ちだった。 島野さんはそんな石川さんに一から漁を教え、飲みに誘い、自宅近くに家も借りてあげた。賃金は最低21万円を保証し、捕れた分を上乗せする。多い月は60万円前後になることもある。頭ごなしに怒鳴ったりもせず、時折冗談めかして声をかける。端で見ていると気を使っているようにも感じられた。 島野さんは「あいつは飲み込みが早かっただけだ」と言いつつ、こう続けた。「昔の人は海水がしょっぱいうちは漁師は大丈夫と言ったもんだ。漁にさえ出れば何とかなる。魚はどこかにいるんだよ。でも今はそれを捕る人間がいない。港を守る人間もいない。だからこそ、少しでも漁を好きになってくれたヤツを中途半端に使い捨てにしちゃならんと思ってる」 ■回転ずしは流行 昭和39(1964)年のピーク時には110%を超えた水産物の自給率は今や60%程度。日本人の食生活が肉中心に変わったこととも無関係ではなく、厚生労働省の国民栄養調査によれば、この20年で魚介類の1人当たりの消費量は2割近く減り、総務省の家計調査でも4割近く消費額を減らしている。必然的に魚の値段は下がり、漁をする人も減っていく。 近畿大学の日高健准教授(水産経済学)は「回転ずしは流行っても、家庭で魚をさばける人も煮付けができる人も少なくなった。一方で海外では魚の奪い合いともいえる現象が起きている。特に伸び率の高いのがアジアだ。中国では経済発展が著しい沿岸部を中心に伸びており、それが安い水産物として日本へ輸入されるケースも増えている」 日本の海岸線は約3万3000キロ。ここに約2900の漁港と約6900の漁師町がある。平均すれば漁港は11キロに1つ、漁師町は5キロに1つ。これほどの漁業国でありながら漁師の数は1漁協平均60人に満たない約17万人。その5割が60歳以上であり、毎年平均8000人が引退している。計算上だが、2030年、その数は限りなくゼロに近づく。ごく当たり前の海辺の光景も消えていく。 「20年後に漁師をしているか…。考えたことないっすね」。屈託のない笑顔でそう話す石川さんに、島野さんは無理強いはしないつもりでいる。ただ、漁業の未来については「希望もあるし、落胆もあるかもしれないし、漁と同じでギャンブルだな」と話し、捕れたての太刀魚を眺めながら、こうつぶやいた。 「本物の魚の味を国民が忘れてしまったら、アフリカの深海魚みたいなものばかりでいいのなら、俺たちも、この町もいらない。食う人たちが決めることだと思うよ」
闇の中で青白く海が光った。これが網にかかった太刀魚の大群である。機械がグオングオンと轟音(ごうおん)をあげて網を引っ張り上げると、潮の香りが船全体に広がった。「結構とれたな」。巻き網船団の親方、島野峯雄さん(63)はニコリともせずに言った。 深夜の東京湾。千葉県富津市の萩生(はぎう)港から3〜4キロの沖合である。巻き網漁は先頭の探知船がレーダーで魚群を探し、2隻の網船が双方から海に網を落として一度に何万匹という魚をすくい上げ、横付けした運搬船が港まで魚を運び込む。漁師たちはこの作業を明け方近くまで繰り返す。 太刀魚はここ数年ほとんど捕れなかったが、今年に入って突然大漁になった。この日の水揚げは約12トン。セリにかかれば200万円ほどになるが、同じように船を出してもバケツ1杯という日もある。 「大丈夫っすか。酔ってませんか」。モヒカン刈りの若い漁師が声をかけてきた。インターネットの求人情報を見て1年前に応募してきた石川竜太郎さん(22)だ。「この仕事は一晩で何千万になることもあるし、大赤字もある。親方もよくバクチみたいなもんだと言ってる。そこが楽しいんだと思う」。 揺れる網船から運搬船の間をぴょんぴょんと飛び移りながら「3回海に落ちたことがあります」と話す石川さん。彼の言うように、漁業は射幸性が強く、ときに危険がともなう荒々しいイメージもある。結果がでるまで数カ月かかり、草取りなど地味な作業も多い農業との違いはそこにある。 ここ数年、各地の漁港で石川さんのような若者が増えているというが、島野さんは「石川みたいに1年も持つのは珍しい。不況で仕事もないし、格好いいと思って来るんだろうけど、大半は都会の子だ。数日で辞めることもある。逆に地元からの応募は全くない。農村も漁村も、そういう構図は変わらないと思う」 ■みんな陸に… 房総半島を代表する漁師町の一つ富津市。南北約40キロの海岸線に7つの漁港を持つが、現在の漁業者数は昭和55(1980)年の半分の約800人。中でも島野さんが所属する萩生漁港は市内で最も過疎化が進む天羽(あまは)地区にあり、組合員は30人程度。平均年齢は70代を超える。 「みんな陸に上がってしまった」。漁協関係者が口をそろえるように、中年層の多くは不安定要素の強い漁を捨てて勤め人になり、今では63歳の島野さんが漁協の中で若手という。地区全体でも高齢化は進み、次世代を担う15歳未満の子供の数は1割を切っている。 だからこそ石川さんの存在は貴重である。海のない埼玉県に生まれ、地元の高校を卒業後、一度は希望した自衛隊では入隊検査で内臓疾患が見つかり、職を転々とした。漁師に応募したのもアルバイト先の居酒屋で店長に勧められたという軽い気持ちだった。 島野さんはそんな石川さんに一から漁を教え、飲みに誘い、自宅近くに家も借りてあげた。賃金は最低21万円を保証し、捕れた分を上乗せする。多い月は60万円前後になることもある。頭ごなしに怒鳴ったりもせず、時折冗談めかして声をかける。端で見ていると気を使っているようにも感じられた。 島野さんは「あいつは飲み込みが早かっただけだ」と言いつつ、こう続けた。「昔の人は海水がしょっぱいうちは漁師は大丈夫と言ったもんだ。漁にさえ出れば何とかなる。魚はどこかにいるんだよ。でも今はそれを捕る人間がいない。港を守る人間もいない。だからこそ、少しでも漁を好きになってくれたヤツを中途半端に使い捨てにしちゃならんと思ってる」 ■回転ずしは流行 昭和39(1964)年のピーク時には110%を超えた水産物の自給率は今や60%程度。日本人の食生活が肉中心に変わったこととも無関係ではなく、厚生労働省の国民栄養調査によれば、この20年で魚介類の1人当たりの消費量は2割近く減り、総務省の家計調査でも4割近く消費額を減らしている。必然的に魚の値段は下がり、漁をする人も減っていく。 近畿大学の日高健准教授(水産経済学)は「回転ずしは流行っても、家庭で魚をさばける人も煮付けができる人も少なくなった。一方で海外では魚の奪い合いともいえる現象が起きている。特に伸び率の高いのがアジアだ。中国では経済発展が著しい沿岸部を中心に伸びており、それが安い水産物として日本へ輸入されるケースも増えている」 日本の海岸線は約3万3000キロ。ここに約2900の漁港と約6900の漁師町がある。平均すれば漁港は11キロに1つ、漁師町は5キロに1つ。これほどの漁業国でありながら漁師の数は1漁協平均60人に満たない約17万人。その5割が60歳以上であり、毎年平均8000人が引退している。計算上だが、2030年、その数は限りなくゼロに近づく。ごく当たり前の海辺の光景も消えていく。 「20年後に漁師をしているか…。考えたことないっすね」。屈託のない笑顔でそう話す石川さんに、島野さんは無理強いはしないつもりでいる。ただ、漁業の未来については「希望もあるし、落胆もあるかもしれないし、漁と同じでギャンブルだな」と話し、捕れたての太刀魚を眺めながら、こうつぶやいた。 「本物の魚の味を国民が忘れてしまったら、アフリカの深海魚みたいなものばかりでいいのなら、俺たちも、この町もいらない。食う人たちが決めることだと思うよ」



